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(……今日もめんどくさい一日だったな……人付き合いも騒がしいのも苦手だし、修学旅行なんて疲れるだけだ)
「ねえ、篝。さっきの写真、見る?」
隣から軽やかな声が飛んでくる。双子の妹、
「……別に」
ぶっきらぼうに返すと、灯はわざとらしく頬をふくらませた。
「も〜、ほんと冷たいんだから」
「それより、シートベルトは?」 「はいはい、ちゃんとしてるよっ!」そう言いながら、灯は篝の腕にするりとしがみついてくる。
昔から変わらない距離感だった。 煩わしい――そう思うのに、離れられると妙に落ち着かない。 篝にとって、それはもう日常の一部になっていた。「ねえ、帰ったらまた一緒に映画観よ?最近サバイバルホラーにハマっててさ」
「……好きにしろ」 「ほんと? じゃあ今度は朝まで付き合ってね」 「調子に乗るな」言葉とは裏腹に、篝は灯の髪を軽くくしゃりと撫でた。
灯は満足そうに笑う。 その顔を見ると、少しだけ胸の奥が静かになる。周りがどれだけうるさくても、灯さえ機嫌よく隣にいれば、それでよかった。――その時だった。
バスが突然、ガクンと大きく揺れて止まった。
「きゃっ……」
「……?」エンジンが一度低くうなり、すぐに沈黙する。
車内の空気が不自然に止まった。 篝と灯は顔を見合わせる。「先生、どうしたんですか?」
「……わからない。運転手さん?」教師が前の座席から身を乗り出す。
運転手は何度かキーを回したが、エンジンはうんともすんとも言わない。 やがて青ざめた顔で教師を振り返った。「すまん……故障したようだ。少し待ってくれ」
たちまち車内にざわめきが広がる。
「え、マジ?」
「こんな山ん中で?」 「圏外なんだけど!」灯が不安そうに窓の外を覗いている。
山道が果てしなく続き、その両脇には木々が無言で立ち並んでいた。 空はすでに灰色がかり、陽はひどく薄い。 まだ夕方のはずなのに、もう夜の気配がにじみ始めている。「……このままだと、夜になるかもな」
「えー、せっかく篝とくっついてられると思ったのに」 「やめろ」 「でも本当に怖いかも。こういうの、ホラーの導入っぽくない?」 「縁起でもないこと言うな」そう言いながらも、篝は無意識に灯の手首をつかんでいた。
灯がきょとんとして見上げてくる。 そこで初めて、自分が強くつかみすぎていることに気づき、篝はそっと手を離した。 そんなやり取りをしているうちに、教師が決断を下す。「仕方ない。徒歩で町を目指す。道なりに進めば、どこかに出るはずだ」
「ええ〜!?」 「夕方なのに!?」 「先生、それ大丈夫なんですか?」不満と不安の入り混じった声が上がる。
だが他に手段もなく、生徒たちはしぶしぶバスを降りることになった。 篝は自分の荷物を肩にかけその上から竹刀袋を背負い直す。「今さらだけど、なんで修学旅行に竹刀持ってきたの?」
「何かあった時、振り回せるだろ」 「ほんと、剣道バカ……」 「おまえを守るくらいには使える」 「……え」 「転ぶなよって意味だ」灯は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。
冗談めかして流したものの、篝の声は自分でも驚くほど真面目だった。 外はひんやりとしていた。 湿った落ち葉が地面に厚く積もり、踏みしめるたび、靴底の下でじっとりと沈む。 山の空気は肌にまとわりつくように冷たく、さっきまでの車内の熱気が嘘のようだった。列になって歩き始めてしばらく経った頃だった。
「ねえ……霧、濃くない?」
誰かの声に、皆の足が止まる。
いつの間にか、白い「山だからだろ」
そう笑う男子もいたが、その声はわずかに引きつっていた。
前に進むしかない。 そう頭ではわかっているのに、誰もが足を速めたがっているくせに、妙に歩幅がそろわない。 まるで道そのものが、よそ者を奥へ奥へと誘い込んでいるようだった。 ふと、篝が足を止めた。「……鳥居?」
霧の向こうに、黒ずんだ柱がぼんやりと浮かび上がっていた。
かつては朱塗りだったのだろう鳥居は、今や色褪せ、朽ち、苔に覆われている。石碑には、深く刻まれた文字があった。
――夜を迎えるな。
「『夜を迎えるな』……?」
声にした瞬間、背筋を氷の指でなぞられたような寒気が走る。
ただの警告文だ。 そう思おうとしても、文字の彫りの深さが妙に生々しくてまるで必死に刻みつけた遺言のように見えた。「なにそれ……」
「気味悪……」 「こんなの、誰が立てたんだよ」ざわめきが広がる。
そのとき、篝はふと気づいた。 灯の気配が、少し遠い。「……灯?」
振り返る。
灯はちゃんとそこにいた。 いたのに、白い霧がその輪郭を薄く溶かしていて、一瞬、別のモノに見えたのは気のせいだろうか? 篝は反射的に彼女のもとへ戻り、その手をつかむ。「篝?どうしたの」
「……いや。離れるな」 「え、なにそれぇ~珍しいなぁもう」 「いいから」自分でも、少しきつい言い方だと思った。
だが灯が見えなくなる想像をしただけで、胸の奥がざわつく。 この霧の中では、一瞬でも目を離したくなかった。 すると、前方で悲鳴が上がった。「先生、道が……!」
生徒の叫びに、全員が振り返る。
そこにあるはずだった道がなくなっていた。 バスが停まっていたはずの方角は、濃い霧に塗りつぶされ、木々の影さえ見えない。 まるで最初から、帰り道など存在しなかったかのように。「戻れない……の?」
誰かが震える声でつぶやく。
教師も運転手も言葉を失っていた。 篝は灯の手をつかんだまま、背後の霧をじっと見つめる。 その奥に、何かがいる。 はっきり見えるわけではない。 それでも確かに、こちらを見ている気配だけがあった。(まずい……このままじゃ、本当に……)
静寂があたりを包み込む。
笑い声も、話し声も、もうない。 ただ霧の向こうで、見えない『何か』だけが、ゆっくりと近づいていた。篝が霧を切るように駆け出した、その瞬間だった。 影月は抱えていた相楽を、まるで価値のない玩具でも捨てるかのように、無造作に放り投げた。「相楽ッ!」 叫びながら、篝は足を止めない。 だが、影月の冷酷な手から放られた相楽の体は、硬い地面に叩きつけられた。 鈍い音とともに、血の赤が広がる。 じわじわと地面へ染み込み、夜の土に吸い込まれていくその様子に、篝の胸がひやりと凍った。「な……っ」 すぐ近くにいたはずなのに。 もっと早く駆けつけていれば、助けられたのかもしれない。 そんな悔しさと、自分の無力さが、胸の奥で鈍く軋んだ。 一方、相楽を投げ捨てた影月は、赤い瞳をわずかに細め、興味深そうに篝を見下ろしていた。「……弱いクセに、戦うつもりか?」 その声は、獣のような冷たさを含んだ戯れだった。 挑発というより、気まぐれな【観察】に近い。 篝は震える手で竹刀を握り直す。 目の端には、震えながらその場に立ち尽くす灯の姿が映っていた。 妹の顔には、恐怖と混乱、そして姉に向ける不安が濃くにじんでいる。(……灯を守らなきゃ) その思いが、恐怖の中でかろうじて自分を支える柱になった。 深く息を吸い、意識を一点に絞る。 一歩、踏み込む。「――ッ!」 竹刀がしなり、一直線に影月の肩を打った。 ――バシンッ! 乾いた音が夜に響く。 だが――影月は眉ひとつ動かさなかった。「……ふむ。そう来たか」 その声はあまりにも淡々としていて、感情の揺れを少しも感じさせない。 次の瞬間、影月の姿がふっと掻き消えた。「え――」 認識したときには、もう遅かった。 ひやりとした気配が目の前に迫り、篝の肩口に鋭い痛みが走る。「っ、あ……!」 影月の爪が、制服の肩を裂いていた。 布ごと皮膚を抉られたような熱い痛みが遅れて広がり、鮮血がじわりと滲む。 思わず竹刀を取り落としかけた、その一瞬の隙を、影月は見逃さなかった。 ぐい、と強い力で腕を掴まれる。 そのまま体勢を崩され、篝の背中は地面へ叩きつけられた。「……ッ!」 息が詰まる。湿った土の冷たさが背に広がり、肺から空気が押し出される。 影月は篝の上に覆いかぶさるように身を落とし、逃げ場を塞ぐ。細身の体躯のはずなのに、押さえつける力は異様なほど重い。まるで巨大な獣に喉元を押さえ込まれたよう
相楽悠馬と数人の生徒が、深夜の帳をすり抜けるように宿を抜け出した。 宮守の忠告――「夜になったら外に出るな」。それをただの古臭い因習だと切り捨てた彼らは、興奮気味に足を速めながら、村はずれの神社を目指していた。「なあ、あれ見てみろよ。めっちゃ雰囲気あるじゃん……ホラー映画っぽくてさ」 相楽の声に、生徒たちは笑い混じりの緊張を抱えたまま、鳥居の内側へ足を踏み入れる。 その瞬間――石段の先、闇の奥で何かが揺れた。「……今、動いた?」 誰かの小さな囁きとともに、ひときわ濃い霧が彼らの周囲を包み始める。 その刹那、相楽の首筋に冷たく硬い『爪』の感触が這い寄った。「ッ……!?」 反射的に身を引こうとした、そのときだった。 霧の中に、赤い光がふたつ浮かび上がる。 それは――目だった。 夜の闇よりなお濃い黒髪に、血のようににじむ瞳。 静かに姿を現したのは、不自然なほど整った顔立ちの青年だった。 漆黒の和装に身を包み、その佇まいは異様なほど静かで、まるでこの世のものではない。 その美しさに、相楽は一瞬、恐怖を忘れて見惚れてしまう。「……おや? 俺に見惚れたか?」 艶のある声で、青年――影月が笑う。 その瞬間、ちらりと覗いた牙が、『美』の下に潜む『飢え』を剥き出しにした。「う、うわあああっ!!」 相楽が悲鳴を上げたときには、もう遅かった。 鋭い爪が喉元を裂き、血飛沫が霧の中に弧を描く。「相楽!?」「あ、ああああっ!!」 絶叫と混乱。 だが、逃げ道すら与えられない。 霧の先には、さらにもうひとつの影が立ちはだかっていた。 白銀の髪に蒼白な肌。 まるで雪の彫像のような美貌のまま、静かに微笑んでいる。「――逃がすと思う?」 紅月は、風もないのに髪を揺らしながら、生徒の一人を掴むと無造作に地面へ叩きつけた。 鈍い音とともに、その体は動かなくなる。 霧に混じって、血の香りが重く漂い始めた。 紅月は指先についた血を舐め、わずかに眉をしかめる。「やっぱり男の血は不味いな、影月」「知ってる……だが、喉の渇きには代えられない」「……女がいいな。何人か女がいたよね?」「いたな。……気になるのは、双子の姉妹だったな」 その言葉が落ちた瞬間――夜を切り裂くように声が響いた。「相楽ッ!!」 その声に
村の老人――宮守に導かれ、篝たちは古びた木造の宿へと足を踏み入れた。 宿の外観は煤けた木板に覆われ、屋根は今にも崩れそうに歪んでいる。 柱にはひびが入り、入口の木戸は軋むような音を立てて開いた。 中に入った途端、湿った空気が肌にまとわりつく。 畳にはカビじみた匂いが染みつき、廊下の壁には色褪せた掛け軸が斜めにぶら下がっていた。 天井の梁には無数の蜘蛛の巣が垂れ、提灯の明かりがゆらゆらと揺れている。 静まり返ったその空間に、生徒たちは思わず足音をひそめた。 普段なら冗談や軽口が飛び交うような場面でも、誰ひとりとして声を発しなかった。「――今夜は、ここで休め」 宮守の低く湿った声が、宿の廊下に響く。 安堵の空気がわずかに広がる――が、その次の言葉がそれをすべて凍らせた。「――ただし、夜になったら決して外へ出るな」 空気が、ぴたりと止まる。 その言葉に、篝は無意識に息を止めていた。 宮守の顔には、冗談めいた色など微塵もない。 むしろ、言いたくもないことを無理に口にしているような、苦渋に満ちた表情だった。「絶対に、だ」 言い直したその声には、どこか怯えすらにじんでいた。 理由を問う者はいない。 誰もがその目に宿る『警告』を、言葉以上に深く感じ取っていたからだ。 篝は宮守の顔をじっと見つめる。 彼が言わなかった『何か』が、この村にはある。 そんな確信めいたものが、胸の奥に広がっていった。(やっぱり、この村は――何かを隠してる) 空気が重い。 時間の流れさえ、ここだけ淀んでいるような錯覚があった。「おいおい、なんだよそれ。化け物でも出るってか?」 その空気を割るように、ひとりの男子が笑い声を上げた。 相楽悠馬――クラスのムードメーカーで、悪ふざけの得意な男だ。「ビビらせすぎだろ、マジで。じいさん、そんな真顔で言ったら信じるやつ出るって」 冗談めかしたその言葉にも、宮守は一言も返さない。 無言のまま踵を返し、宿の奥へと消えていった。「……」 誰も追いかける者はいなかった。 重苦しい沈黙だけが、廊下に残される。 篝はふと窓の外を見やった。 そこには月も星もない黒い空が広がっていた。(本当に……この村には、何かが潜んでいるのかもしれな
道を失った生徒たちは、誰ひとり口を開くことなく、霧の中を進み続けていた。 空気はどこまでも湿っていて冷たく、まるで目に見えない糸が何本も絡みついてくるようだった。 一歩踏み出すたびに靴底がぬかるみに沈み、足取りは次第に重くなっていく。 篝と灯は、互いの手をしっかりと握り合っていた。 かすかに震える灯の手を包み込むように握り返しながら、篝は霧の奥をじっと睨む。 見えない何かが、自分たちの行く手を試している――そんな直感が、ずっと胸に引っかかっていた。「篝、灯、大丈夫か?」 濃い霧の向こうから、聞き慣れた声が届く。 振り返ると、クラスメイトの結城が霧の中から歩み寄ってきた。 メガネの奥の瞳には、心配の色が浮かんでいる。「……私は大丈夫」 「私も平気だよ!ありがとう、結城くん」 灯は少し無理をしたような明るい声で微笑んだ。 結城はその笑みに一瞬たじろぎながらも、気まずそうに目をそらし、やがて篝へ視線を向ける。 しかし篝は、無言のまま首をわずかに傾けただけだった。 それでも結城は、その仕草に何かを感じ取ったのか、耳まで赤く染めたまま、何も言わず再び霧の中へ戻っていった。 灯はその背中を見送りながら、くすりと笑う。「……ふふ。まだまだ篝は私のものだもんね」 「……どういう意味だ?」 素っ気なく問い返す篝に、灯は「なーんでも」と悪戯っぽく笑ってみせた。 篝はその笑みに少しだけ眉をひそめたが、深く考えることはしなかった。(篝は、まだ何も知らなくていい) 灯はそんなふうに思いながら、そっと篝の手を握り直した。 ▽ どれほど歩いたのか、もう誰も時間の感覚を保てていなかった。 ただ、靄の中を進むうちに、空気が少しずつ変わっていくのを篝は確かに感じ取っていた。 空気が重い。 湿気はさらに濃くなり、鼻腔をくすぐる風には、かすかな腐臭が混じっている。 その時――霧がわずかに薄れた。 その先に、彼らは不意に『それ』を見つけた。「……村?」 誰かが、声にならないような声で呟く。 古びた木造の家々が、霧の中から浮かび上がってくる。 どの家も時代から取り残されたように朽ち、屋根瓦はところどころ崩れ、壁にはひびが走り、窓はすべて固く閉ざされていた。 人の気配はない。
(……今日もめんどくさい一日だったな……人付き合いも騒がしいのも苦手だし、修学旅行なんて疲れるだけだ) 篝はバスの座席に深く腰を沈め、流れていく窓の外をぼんやりと眺めていた。 車内は修学旅行の帰り道らしい浮ついた空気に包まれている。 笑い声、カメラのシャッター音、はしゃいだ声。 どれもが耳につき、それだけで気分が重くなった。「ねえ、篝。さっきの写真、見る?」 隣から軽やかな声が飛んでくる。双子の妹、灯だった。 彼女のスマホには、クラスメイトたちと並んだ記念写真が映っている。 中央で明るく笑う灯と、その隣で露骨に目をそらしている篝。並んでいるだけで、まるで正反対だった。「……別に」 ぶっきらぼうに返すと、灯はわざとらしく頬をふくらませた。「も〜、ほんと冷たいんだから」「それより、シートベルトは?」「はいはい、ちゃんとしてるよっ!」 そう言いながら、灯は篝の腕にするりとしがみついてくる。 昔から変わらない距離感だった。 煩わしい――そう思うのに、離れられると妙に落ち着かない。 篝にとって、それはもう日常の一部になっていた。「ねえ、帰ったらまた一緒に映画観よ?最近サバイバルホラーにハマっててさ」「……好きにしろ」「ほんと? じゃあ今度は朝まで付き合ってね」「調子に乗るな」 言葉とは裏腹に、篝は灯の髪を軽くくしゃりと撫でた。 灯は満足そうに笑う。 その顔を見ると、少しだけ胸の奥が静かになる。周りがどれだけうるさくても、灯さえ機嫌よく隣にいれば、それでよかった。 ――その時だった。 バスが突然、ガクンと大きく揺れて止まった。「きゃっ……」「……?」 エンジンが一度低くうなり、すぐに沈黙する。 車内の空気が不自然に止まった。 篝と灯は顔を見合わせる。「先生、どうしたんですか?」「……わからない。運転手さん?」 教師が前の座席から身を乗り出す。 運転手は何度かキーを回したが、エンジンはうんともすんとも言わない。 やがて青ざめた顔で教師を振り返った。「すまん……故障したようだ。少し待ってくれ」 たちまち車内にざわめきが広がる。「え、マジ?」「こんな山ん中で?」「圏外なんだけど!」 灯が不安そうに窓の外を覗いている。 山道が果てしなく続き、その両脇には木々が無言で立ち並んで